
ルイ・マジョレル
(Louis Majorelle、1859〜1926)
フランスの家具デザイナー。彼の家具様式の特徴は、暗い色の木とブロンズを多く使用していること。
ルイ・マジョレルは、エミール・ガレを筆頭としたナンシー派を代表する作家である。
初めパリの美術学校で学びましたが、父の死により家具と陶芸を扱う家業を継ぐガレと並んで、より個性的な追求を試みたナンシーを代表する家具作家として活躍しました。
1900年のパリ万国博では、食堂、寝室家具、インテリア≪睡蓮≫を発表しました。
ガレとの違いは、ガレがロレーヌ地方の木であるナシ病リンゴのやわらかな材質を好んでいるのに対して、紫壇やウォルナットやチーク材のような堅い木を好み、より彫刻的なフォルムをみせて男性的です。
【ルイ・マジョレルの歴史】
■1859年10月 Toulに8人兄弟の長男として生まれ、1877年より2年間パリの美術学校にて絵画を学び、79年、父親の急死をきっかけに弱冠20歳にして父親の家具工房を引き継ぐ。
当初はロココ風の伝統様式の家具を製作していたが、ガレの作品に影響を受け、次第にアール・ヌーヴォー調の家具製作へと転換する。後に室内装飾、彫刻、装飾用金物、ブロンズ細工、ガラスなどを手がけるようになる。
■1900年 パリ万国博覧会に作品を出品し、名声を確立。その頃からアントナン・ドームと組んでガラス花瓶やランプ製作を始めるようになる。
■1901年 ガラス工芸品で名を派していたエミール・ガレとともに、ナンシー派を設立、副会長の座に就任。高級家具師としては、多くの質の高い芸術的な家具を作り、マルケトリー(寄木細工)の技法や、パティネ(古色加工)されたブロンズや金彩ブロンズを装飾的に家具にあしらう技法などを用いた。
そのほかにもランプ、花瓶、トレイ、オブジェなどを創作。
室内装飾家としては、同じナンシー派の建築家リュシアン・ワイゼンバーガーによる建物の室内装飾を数多く手掛けた。また、パリに現存するマキシムやルカ・カルトンなどレストランの内装も行った。
■1902年 パリの建築家アンリ・ソヴァージュが建てたマジョレル自身の邸宅「ヴィラ・ジカ」の室内装飾を行い、高く評価されている。
■1903年 シャン・ド・マルスにおいて開催された国民美術協会展に「睡蓮」シリーズを出品、この一連の作品はマジョレル家具の中でも秀逸とされる。
■1926年 ナンシーにて没。