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稀代の芸術家たち

シャルル・マルタン・エミール・ガレ
(Charles Martin Émile Gallé、1846/5/4〜1904/9/23)

アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家、陶器・家具のデザイナー、アート・ディレクター、企業経営者。
19世紀後半、海を越えヨーロッパに渡った日本の美術品は、ジャポニスムと呼ばれるブームを巻き起こしました。日本の美は、その土地の美術や文化に取り入れられ、絵画、彫刻、陶磁器、ガラス、そして建築など、多様なジャンルに影響を及ぼしました。
フランス・アール・ヌーヴォー期を代表する芸術家エミール・ガレ(1846-1904)は、そんな時代に、ナンシーでガラスと陶器の創作活動を開始したのです。ナンシーの街は、フランスのロレーヌ地方と言えど、川を渡し舟でほんの数分渡ればドイツというところにあります。ガラス工芸については、日本でも良く知られています。(例:長野県諏訪市北沢美術館)エミール・ガレはアールヌーヴォーのガラス工芸家として、広く知られているが、寄木象嵌家具作家としては日本人には余り知られていません。
ガレが手がけたガラス、陶器、そして家具には、さまざまな形で日本美術との結びつきが見受けられます。多くの芸術家たちがそうだったように、彼もまた、当初は表面的なモチーフの転用から出発しました。家具製作は日本の家具がモデルになっています。ナンシーの工芸と日本の家具を出会わせた一人の日本人、高島得三(北海道)と出会い、ガレのアールヌーヴォースタイルはジャポニズムの影響を強く受けています。
しかし、ガレに与えた影響は、日本の美意識への理解が深まるとともに次第に深化しつつ、彼独自の芸術性を確立する上で、重要な一端を担うことになったのです。その姿は、当時の批評家をして「ナンシーで日本人として生まれた運命のいたずらを、祝福してあげようではないか。」と言わしめるほどでした。

《寄木象嵌家具》

ルネッサンスの15世紀以来、木の薄板をS貼り合わせて絵画的な表現や文様を作るやり方が行われてきたナンシーのアールヌーヴォー家具は、この技術をとりあげナンシー派の世界である自然からのインスピレーションの装飾をつけました。これはパリの家具とはもちろん異なります。自然の息づく家具、その代表作家はエミール・ガレでした。

【エミール・ガレの歴史】

■1846年5月4日 フランスロレーヌ地方ナンシーで誕生。父はシャルル・ガレ。母はファニー・レーヌメール。
■1858年 ナンシー帝立高等中学校(リセ)に入学。修辞学、文学、哲学、植物学、に優れた成績を修めた。ピアノ演奏のレッスンも受けるなど幅広い教養を身につけた。
■1864年 卒業後、父の会社のアトリエで陶器の絵付けを手伝う。
■1865年〜67年 ドイツのヴァイマルに留学し、ドイツ語の研修とデザインを修めた。
■1866年〜67年 マイゼンタールのブルグン・シュヴェーラー社 (Burgun, Schwerer & Cie.) のガラス工場でガラス製造の技術を習得した。
■1870年 プロシアとフランスの間に普仏戦争が始まり、ガレは義勇軍に志願した。
■1871年 プロシア軍はフランス軍を圧倒しパリに入城。敗戦国となったフランスはフランクフルト条約によりガレの故郷ロレーヌ地方の一部とアルザス全域を割譲した。退役後、父についてイギリスを訪問し、サウス・ケンジントン美術館を見学した。
■1874年 父の経営する陶器・ガラス会社の芸術部門の責任者となった。
■1877年 父に代わって工場管理責任者となった。また、ナンシー中央園芸会の創立メンバーとなり事務局長を務めた。
■1878年 パリ万国博覧会に独自に開発した'月光色'ガラス(酸化コバルトによって淡青色に発色させた素地)や陶器を出品し、銅賞を受賞。また庭園装飾のための陶器で銀賞を受賞。
■1884年 装飾美術中央連盟主催の「石木土そしてガラス」展に出品し、金賞を受賞。
■1885年 ナンシー水利森林学校に留学中の農商務省官僚で美術に造詣の深い高島得三と交流を持ち、日本の文物や植物などの知識を得たといわれる。
■1886年 ナンシーの自宅近辺に建設した家具工房で製造を開始。
■1889年 パリ万博に大量の作品を出品、また自社製パヴィリオンを用意して展示作品の演出も試みた。その結果、ガラス部門でグランプリ、陶器部門で金メダル、家具部門で銀賞を受賞し、装飾工芸家として国際的な評価を得る。特に黒褐色のガラス素地を使用した一連の作品は評判がよかった。代表作に「オルフェウスとエウリディケ」がある。
■1894年 家具工場が建つ敷地を買い増しして、ガラス製造のための工場を完成させる。
■1898年 「マルケトリ技法」、「パチネ素材」で特許を取得した。
■1900年 パリ万博に大量のガラス器、家具を出品。再びグランプリを獲得し、ますます評価を高めた。
■1901年 「エコール・ド・ナンシー」(ナンシー派)の会長に就任した。
■1903年 パリのルーブル宮マルサン館で開催されたナンシー派展に出品。
■1904年9月23日 白血病により死去、58歳。
その後工房は、画家のヴィクトール・プルーヴェと夫人のアンリエットによって経営を続けた。製造品目はエッチングによるカメオ彫り製品が大半を占めた。
■1914年〜18年 第一次世界大戦中に一時製造を中止。
■1918年 娘婿のポール・ペルドリーゼによって製造を再開した。
■1931年 会社は解散。工場の敷地は売却された。



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